適応障害と診断されたアラフォーおじさんの日記

30代半ばで心の糸が切れてしまい、会社に行けなくなってしまったおじさんの日記です。日常や手続き、日々のニュースなど徒然なるままに記します。

おじさんのバックグラウンド①

にやんちゆうです。

 

ここでは簡単ににやんちゆう(おじさん)のバックグラウンドをお話しします。身のある話ではないので、暇つぶしにどうぞ。

 

もういくつも寝ると36歳になります。

ねこが大好きですが、生憎猫アレルギーです。自分はなぜ猫として生まれなかったのか、最近真剣に悩んでいます。そのくらい、猫っぽい性格をしていると思います。

 

生まれも育ちも渋谷区です。渋谷区から住民票を移したことは一度もありません。

 

金持ちに聞こえるかもしれませんが、何故か我が家は両親共に江戸っ子気質だったのか(母は沖縄、父は山形出身で、大阪で知り合っているのですが)貯蓄が全くなく、幼少期、それなりに生活に困窮した時期はありました。

 

新宿タカシマヤの前にHISの本社がありますが、幼稚園の頃はあの裏にあるアパートに住んでいました。ラーメン好きの方はご存知かも知れませんが「つけ麺 五ノ神製麺所」の少し奥、代々木方にある広い駐車場のあたりが住処でした。今GAPの日本本社が入るビルはキリンビールの配送所があり、フォークリフトがたくさん動いていたのをよく覚えています。

 

小2の春に、明治通りバイパス建設(今年やっと開通しそうですね…その辺はまたいつか書ければ)の関係で立ち退きにあい、小田急線の参宮橋駅南新宿駅の間くらいのところへ越しました。

 

首都高沿いの賃貸マンションで、ずいぶん高い家でしたが、オマセ(意味違うか?)なガキだった僕は区の家賃補助によって半額くらいで住めた事を知っていました。

いい家でしたが、機密性が高すぎて僕の部屋はどんなに換気をしても壁にカビが生える困った部屋でした。

 

家賃補助が受けられなくなるので、中2か中3の時にまた越しました。

同じ町内でしたが、首都高から離れ大分静かなところでした。この家で結婚まで過ごしました。

 

 

僕は運動全般が苦手です。また、人見知りなので友達も少ない方でした。

小2で転校した頃から、運動ができず鈍臭いところや友達が少ないことからよくいじめられました。

泳げないので何かと理由をつけて水泳の授業を休んでいると、たまたま来ていたPTAの会長に「ズル休みするな、ちゃんと泳げよ」と言われたのは今でも大変よく覚えています(会長の息子は僕をいじめてました)。あの映像は完全に脳内で再生できます。好きで休んでるんじゃねーよ、お前にこの気持ちがわかるもんか、と憤ったものです。

 

その頃、心を保たせてくれたのは学校の脇を走る小田急線でした。

 

中学校は無難にやり過ごしたかったのですが、やっぱりいじめられていたので無難には終われませんでした。

出すつもりはないが授業中にこっそり書いたラブレターがなぜか相手に届いて振られたり、修学旅行の新幹線の車内で用を足したら、お前の後は汚いから便器を舐めて綺麗にしろとか。

 

中3はほとんど不登校でした。

 

親に言えば「くだらんこと言わずに義務教育なんだから学校へ行け」と返され(児童生徒が学校へ行く事を義務付けていると勘違いしている)、学校に言っても「とりあえず来い」と返されるだけ(当時の担任は保健室登校を容認はしてくれていましたが、いじめに向き合ってくれたのは卒業間近になってからだったと思う)。

 

大人は味方になってくれないんだなぁ、とぼんやり思ったのはこの頃。

 

朝起きたらとりあえず制服に身を通し、マックへ。朝マックのパンケーキとホットココアで時間をやり過ごしながら十二壮通りと方南通りを眺めてた。当時母も夜遅くまでパートに出ていたので、昼過ぎに家に帰る。何事もなかったように。

 

 

少し長くなりましたので続きは別記事に。